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Queenのボーカルとして有名なフレディ・マーキュリーの生い立ちについてです!
彼はどこで生まれてどう育ってきたのか、
また、彼の両親や信仰していた宗教、その教えなどを詳しくみていきたいと思います。
フレディ・マーキュリーの生い立ちや本名は?
フレディ・マーキュリーの本名は、
ファルーク・バルサラ(Farrokh Bulsara)です。
フレディの生まれからQueen結成までの簡単な年表がこちら。
年代 | 場所 | 出来事 |
---|---|---|
1946年(0歳) | ザンバジル | 誕生 |
1954年(8歳) | インド | 良い教育を受けるためインドの学校へ |
1963年(16歳) | ザンバジル | インドの学校を辞め、ザンバジルへ戻る |
1964年(17歳) | イングランド | ザンバジル革命から逃げイングランドへ |
1970年(23歳) | イングランド | QUEEN結成。 バルサラからマーキュリーに改姓。 |
インド出身の両親の元に1946年9月5日、当時イギリスの植民地だったザンジバル(現在はタンザニア)に生まれます。
場所はこちらです。東アフリカですね。
父親がイギリスの植民地官僚だったようです。
フレディの
フレディは、5歳の頃からザンジバル宣教師学校に通うようになり
8歳でより良い教育を受けるためにインドに行かされ英国の全寮制男子校に入ります。
フレディはこの学校に約10年間在籍しましたが、両親とは毎年1度、夏休みに会うだけでした。
映画でも、フレディと両親がうまくいかない様子が描かれていますが
この寮生活の間に両親との心の距離が生まれてしまったためと言われています。
1963年、フレディーが落第し退学した事で長かった家族と離れ離れの生活にも終わりをつげました。
ようやくこれからという時に、その後の一家の運命を大きく変えるザンジバル革命が起きます。
この革命により、一家はイギリスに移り住み、難民となるのです。
非白色人種であることから差別を経験したのも事実で、映画でも、フレディがヒースロー空港で、その南アジア系の容姿から「パキ(スタン)野郎」などと差別的な言葉を投げつけられる姿が描かれています。
後に、本名を嫌い西洋的な名前に変えたのも、差別の影響があったと言われています。
大成功を収めた裏で、故郷を失う経験、人種差別、同性愛への葛藤、孤独、外見的なコンプレックスを抱えていたフレディ。彼の生い立ちを知るにつれ、スーパースターであるが故の光と影が浮き彫りになってきます。
フレディの両親の宗教について
歴史の教科書では、火を尊ぶ「拝火教」として登場するゾロアスター教ですが、その歴史は紀元前12〜9世紀頃、イラン高原の古代アーリア人まで遡ります。
世界でもっとも古い善悪二元論的(世の中の事柄を善と悪の二つに分類する事で世界を解釈する認識法)な宗教と言われていて、日常生活や祭儀に欠かせない火を礼拝の対象としたために、「拝火教」と呼ばれるようになったとされています。
フレディの両親は、インド出身で熱心なゾロアスター教徒のパールシーでした。映画にも出てくる「パールシー」の言葉の元々の意味は「ペルシア人」(今のイラン人)ですが、映画の中ではインドのゾロアスター教徒を意味しています。
フレディもゾロアスター教徒でしたが、あまり熱心な信者とは言えず、ロックのイメージと合わないという理由で「ファルク・バルサラ」という本名を勝手に「フレディ・マーキュリー」に改名してしまいました。
ゾロアスター教で最も重要な美徳とされるのは「善い考え、善い言葉、善い行い」の3つの善いで、それを言葉として口にするだけでなく、行動で示す事を、子どもの頃から徹底的に叩き込まれます。父親がフレディに口うるさく3つの善いを諭す様子は映画でも親子の確執として描かれていました。
フレディの葬儀の際は、ゾロアスター教の習わしに従って火葬され、遺灰は自然にまかれたと言われています。
まとめ
フレディ・マーキュリーの生い立ちや、両親、信仰していた宗教についてまとめてみました。
幼少期からアフリカやインドにいて、いろんな経験をしてきたようです。
フレディ・マーキュリーと改名したのも育った環境に少しコンプレックスがあったからなのかもしれないですね。